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チョコレートマーメイド 2



 ミサキは念願かない、人間になる薬を手に入れました。
恐ろしい契約をやさぐれた魔法使いと交わして、彼女の美しい歌声
と引き換えに。

 そうまでしてもあの、清らかで美しい王子の下に行きたかったの
です、ああ何という熱い一目惚れなのでしょうか。





「いいかね……えーと」
「(王子たるもの、世継ぎを残すのが義務であるぞ)」
「王子たるもの、世継ぎを残すのが義務であるぞ」
「重々承知しています」

 王子は畏まり、恭しく父王に首を垂れました。

「えーと、んと、何だっけ」
「(何だっけじゃ無いでしょー。王、わかっているなら少しは花嫁
選びをせぬか!と一喝)」
「王、わかっているなら、少しは花嫁選びをせぬか!と一喝」
「(王と一喝はいらないでしょ)」
「王と一喝はいらないでしょ」
「(それも言わなくていいの)」
「それも……もがっ」

 父王の背後に立った臣下が、王の口を塞いで黙らせました。
何するのよ、と小声で王が抗議しています。

「……父上、付けヒゲがずれております」
「えっ。わっ、ごめん」

 王子の冷たい突っ込みに、あかり王は慌てて斜めになったヒゲを
直しました。
あかり王様、ヒゲだけ付けて詰め物を沢山しても、決定的に威厳に
欠ける模様です。
背後の眠そうな地味顔の臣下が、困ったようにひそひそと王様に耳
打ちしています。

「(だからこんなセリフの多いのやめなさいって言ったのに)」
「(だって王様がやりたかったんだもん)」
「(だったら覚えてよもー)」

 臣下と父王の様子を黙って見守っていた王子は、にこやかに天使
の様な優しげな笑みを浮かべて立ち上がりました。

「父上はお疲れのご様子ですね。では私はお暇させて頂きます、ど
うかご自愛なさって下さい」
「ん、うむ!」

 片手を胸に当てて、優雅に一礼をして去る息子を満足そうに見送
って、王様はヒゲを一撫でして臣下を振り返りました。

「わが息子ながら、出来た奴じゃわい。えーと」

 王が挙動不審に伺うと、臣下がため息をついて耳打ち。

「(見目麗しく、気品溢れ、優しく賢く国民にも愛されておる。ま
さに王子の中の王子じゃ、のう?)」
「……と、王様が言いました」
「(コラ、ちゃんと復唱しないとダメでしょー)」
「いいじゃん、周りに解れば。もー面倒臭いなー」

 だからやめてって言ったのに、ともう一度ため息をついて臣下は。

「御意にございます。我らがハナハナ王国に万歳」

 と、王の言葉に同意をしたのでした。





「おはようございますイツキ王子」
「やあ、ロザリンド、今日も君の夜鳴鳥のさえずりは美しいね」
(夜鳴鳥ってよりはヒキガエルだけどな)
「んまあ、王子ったら、お上手でいらっしゃいますわ」
(全く全く。お世辞にも度が過ぎるってもんだよな)
「何を言うの。私は君の声を聞くたびに、元気になれると言うの
に」

 にっこり。
王子は天使のごとき清らかな笑みを残して歩み去ります。
次に王子に声を掛けたのは、年かさの大臣でした。

「王子、お出かけでいらっしゃいますか」
「ああ、ちょっと町まで。市政の民の暮らしを見るのも大事な仕事
だからね」
(うるせえな、俺がどこに行こうと放っておけっつうの)
「それは感心でいらっしゃいますな」
(なんてな。本当は女漁りにでも行こうかと思ってるんだけどな)
「当然のことだよ、私は国民のために生きているのだから」
(俺のために愚民どもが居るんだけどな)

 きりっとした顔でそう答えると、王子は馬小屋に向かって消えて
行きました。

(全く、退屈だ)

 イツキ王子は、頭を一つ振り、愛馬にまたがりました。

(ここじゃあ息抜きできないからな。俺は天使みたいな善良な王子
だと思われてるしなあ。まあ、その方が何かとやりやすいわけだが。
しかし迂闊に本音も出せねえから、息が詰まる。何よりたまらねえ
のは)

 やれやれ、と小声で呟き、イツキ王子は首をコキコキ鳴らしまし
た。

(王からしてボンクラ、臣下もアホばかり。俺がしっかりしねえと
あっと言う間に侵略されちまう。女官もいけてねえ、手をつける気
にもなりやしねえ。腐れた国だよなー、けっ。世継ぎ世継ぎうる
せーんだよ。俺をその気にさせたかったら、もっといい女連れて来
いよ。頭の悪そうな平凡な姫ばかり紹介するんじゃねえっつうんだ
よ)

 あー、どこかに面白そうな退屈しのぎはねえかな、と王子は呟き。
そうだ今日は海にでも行くかと、気まぐれに手綱を引きました。

 賢く性格の良い英邁な「天使の君」と、国民に絶大な人気を誇る
イツキ王子でしたが。
有能なのは確かですが、彼は強烈に性格の悪い青年でした。
いい子に振舞う日々に退屈しきっている、性格最悪の二重人格王子。
彼の手に落ちたら、ミサキ姫はどうなってしまうのでしょう。

 危うし、人魚姫。





(おとうさま、おかあさま、おねえさま、サヨウナラ……!)

 懐かしい海底世界に別れを告げて、ミサキは一人、浜辺にやって
来ました。
クリスタルの瓶に入った、魔法使いから譲られた薬を、ミサキは浜
で一気に飲み干しました。

「ああっ!」

 焼け付くような痛みが体に走ります。
ぐらぐらと視界が揺れ、ミサキはその場に倒れこみました。

(王子様……!)

 よくよく考えたら。
ここで人間になったからって王子に会えるとは限らないのに何を無
計画な、と気が付いたのはその時でしたが、しかし時すでに遅し。
薬が体に回り、その苦しさに耐えかねてミサキは意識を手放しまし
た。





「ミサキちゃんが家出したですって!?」

 姉姫達の間に、どよめきが走りました。
ミサキ姫が、誕生日の夜に出会った王子のために人間になりたいと、
森の魔法使いの元に行ったというのです。

「恐ろしい魔女の元に……」
「業突く張りで根性の悪いという魔女の元に……」
「ああ、ミサキちゃん。何とおろかな事を」

 父王も、母王妃も、姉姫も、皆が顔を覆って泣き伏します。
彼ら人魚の一族は、とても平和で友好的なのです。
戦う術など持ちませんから、このような局面ではオロオロするばか
りなのです。

「今頃、どんな目に遭っている事やら」
「押し倒されちゃってるかもよ?」

 くす、と唯一好戦的なミナコ姫が笑みを漏らしました。

「何たって女癖の悪い魔女だからねえ。油断はしちゃあいけないわ
よね」
「あ、あら。魔女だから女性ですし? それに、女癖の『悪かっ
た』とおっしゃって頂きたいわお姉さま」

 ホノカ姫がぴくっと引きつって、姉姫に口を挟みます。
ミナコ姫はくすりと笑って、あらあらホノカちゃーん? とわざと
らしく聞き返します。

「悪かった、とは、何を基準に? あなた騙されているんじゃなく
て?」
「そ、そんな事ありませんわよ、適当な事おっしゃらないで」
「あなたったら、ずっと遠距離だったのに? 何を根拠に彼は清廉
潔白だと言えて?」
「そ、それは信じてるから」
「ああーら、上手く丸め込まれた事っ。おーほほほ。カモねカモ」

 うぬぬぬ。ミナコ姫のイジワルな指摘に、反論出来ずにホノカ姫
はふくれて黙りこみました。

「わ、私。魔女の所に行って来ます! 改めて確認、じゃなくて。
ミサキのことが心配ですから」
「じゃあ私も行こうかしら。嘘を見破ってあげてよ? あなただと
丸め込まれてしまうでしょうから?」

 ギロ、とホノカ姫が眼光鋭く振り返ると、その視線を受け流し、
おーほほほほ、とミナコ姫が高笑い。
イジワルでは姉姫に一日の長がありますから、ホノカ姫は一言も言
い返せないまま悔しそうに踵を返し、もといヒレを返して、父母が
止めるのも聞かずに飛び出して行きました。





(あ……私)

 生きてる。

 ミサキ姫は、揺れる光をまぶたの向こうに感じて、うっすらと目
を開けました。
頭を一振りして、起き上がろうとして。
ミサキは、バランスを崩して砂の上に倒れこみました。

(何か、動きづらい)

 そこで初めてミサキは自分の下半身を見下ろして。
そこにあるはずのヒレが無くなって、人間と同じ二本の足になって
いる事を発見しました。

 さすがにビジネスの鬼の森の魔女。薬の効き目は抜群です。

(私、人間になったんだわ……!)

 しかし大問題が一つ。
ミサキ姫は、何も身にまとってはおりません。
このままでは人に会ったら大恥を掻いてしまいます。
何か隠す物は無いだろうかと半身を起こしたままビーチを見回そう
として、ミサキは、目の前に立つ人影に気が付きました。

(ああっ!)

 呆然と自分を見つめる身なりのいい貴人。
褐色の肌、サラサラの茶色の髪、目の下の色っぽい泣きぼくろ。
ふんわりと袖が膨らんだ豪奢な衣装に身を包み、マントをはためか
せ、白馬の手綱を引いているその優雅な立ち姿。

 彼女の少し前に立って、ミサキを見下ろしているのが誰なのか知
って、ミサキは驚愕に目を見開きました。

(王子様……!)

 そこに居たのは、イツキ王子その人でした。
 夢に見るほど恋焦がれ、彼ゆえに人魚から、人に姿を変えた愛す
る王子です。

 何という、感動の再会なのでしょうか。
何という、清らかで美しい姿なのでしょうか。

 ミサキは胸が一杯になって、口が利けなくなりました。
……良く考えたら口を利きたくても利けないのですが。

(王子様、私です。あの嵐の夜に、あなたをお助けした人魚です)

 彼は自分が助けた事を覚えてはいないだろう。
それはわかっている、けれども、この燃える想いだけは伝えたい。

 ミサキは万感の想いをこめて、彼を見上げました。

「お前はもしかして」

 驚きを隠せないまま、王子はミサキに歩み寄って、その側に跪き
ました。

「伝説に聞く、人魚なのか?」

 ああ、彼の声は、何と涼やかなのでしょうか。
その声にミサキはうっとりと耳を傾けました。

(……えっ? どうして私が人魚だと)

 動揺して見上げるミサキをまじまじと眺めて、イツキ王子。

「お前がこの薬を飲み干して倒れて。それから、お前のヒレがみる
みる内に足に変わって行く様を、私はこの目でしかと見たぞ」

 言いながら王子は。
自分の見た光景がまだ信じられないのか、ミサキの側に転がる薬の
空のビンを持ち上げて首を捻りました。

「まさか、人魚がこの世に実在するとは」

(見られてしまった……)

 鶴ではありませんから、正体を見られたら側に居られないとは言
われていませんでしたが、しかし。
人魚だと知られては、気味悪がられるに決まっています。
愛されなくてもいい、泡になってもいい。
たとえわずかな間だけでも彼の側にいられたら、そう思いつめてこ
こまでやって来たのです。

 それさえも、許されないとしたら。

 自分の小さな恋は終わった。ミサキの心は絶望で埋め尽くされま
した。
ミサキは悲しみに満ちた目で、何も言わずに王子を見つめました。

「まさかお前、口が利けないのか」

 王子の問いに頷くと、彼はそうか、と呟いて、マントを背から引
き抜いてミサキの肩にふんわりとかけました。

「いきさつはわからないが、自ら人魚の国を捨てたのならば、行く
所が無いのだろう。ならば私の所に来るといい。どうだ?」

 慈愛に満ちた笑みを浮かべて、イツキ王子はミサキを覗き込んで、
肩をぽんと叩きました。

(王子……!)

 何て、何てお優しい方なのだろうか。
得体の知れない自分を、人外の者と知りながら引き受けて下さると
は。
やはり、この方は優美な容貌そのままに、お人柄の素晴らしい高貴
の方なのだ。

 ミサキの心は感動で一杯になりました。


 この方のためなら、私は死ねる。
そう本気で思ったのでした。





「ああ、綺麗になったね」

 王宮に連れて帰られてから、ミサキは女官に預けられました。
そして彼女達の手によって洗われ美しく装われ、王子の住まう東宮
に参内させられました。

 王子は窓際に座り、何かの本を読んでおりましたが、立ち上がっ
て満面の笑みを浮かべてミサキと女官を迎えました。

「ありがとう、ご苦労だった。さすがロザリンドだね、君に任せて
良かったよ」

 彼が女官を労うと、女官は目をハートにさせながら感じ入った風
で何度も頷きました。

「行くあての無い者を引き取ってさしあげるとは。さすが殿下は慈
悲深くていらっしゃいます」
「当たり前の事だろう。私は万能では無いけれど。誰かを助ける手
があるならば、必要とされるならば。出来る事は何でもするつもり
だ。それが私の何よりの悦びなのだよ」

(王子様、何て美しいお心栄えかしら……!)

 優しく微笑んで女官を下がらせると、彼は感動しきりのミサキの
方を、くるりと向きました。

「ったくよ、あの女。暇さえありゃあ俺に色目使いやがるんだよ。
うっとうしいったらねえよな」

 けっ、と吐き出しながら、王子はボリボリと頭を掻きました。

「まあ、わかるけどな。能も無い、見かけもイマイチの女がのし上
がるには、俺みたいなセレブに取り入るしかねえからな」

 くくくっとあざけりながらイツキ王子は、豪華なビロードの長椅
子に勢い良く飛び込みました。
天使みたいな柔らかい光をたたえていたあんず型の綺麗な目には、
今はギラギラと悪意が揺らめき。
優しげな口元はにやりと歪んで、別人みたいな凶悪な顔がまえに変
化していました。

「何やってる、お前こっちに来いよ」

 イツキ王子は、目の前で起きている事が飲み込めずにぽかんと立
ち尽くすミサキを不快げに睨んで、手招きをしました。
理解を超えた展開に呆然としながらも、ミサキは呼ばれたままに、
彼に吸い寄せられて行きました。

 座れ、と顎で示されてミサキは、長いすの端に腰掛けます。

「お前……本当に口が利けないんだな」

 ふうーん。と、上から下までジロジロと眺めながら、サイドテー
ブルから葡萄を房ごと取ってぱくりと一口。
何とも下品な、しかし堂の入ったその食べ方に、ミサキはようやく。
もしかして、王子は今まで猫を被っていたのでは無いだろうかと気
が付きました。

「そうだよ」

 ミサキが彼の顔を、とがめるようにじっと見ると、王子はにやっ
と片頬をゆがめました。

「察しが早いな、馬鹿じゃあ無いって事か。ならなおさらいいな。
俺は馬鹿が大嫌いなんだよ」

 満足そうに言って、イツキ王子はミサキを引き寄せました。

(どっ、どっ)

 どこ触ってるのよ!?

 王子がなにやらさわさわと腰の辺りを撫でながら、ふん、まずま
ず安産型、と呟くのにミサキがかっとなって手を払いのけようとす
ると。

「ちっ、行儀の悪い奴隷だな」

 とイツキ王子は舌打ちを一回して、彼女をとらえて椅子の上に引
きずり倒しました。

(奴隷ですって!?)

「お前は俺が拾った。したがって俺の奴隷。生きるも死ぬも俺次第
なんだよ、わかったか?」

 悪魔のごとき笑みを浮かべて見下ろすイツキ王子。

「口が利けないなら、俺の事をベラベラ話さないだろ。床屋もロバ
の耳を黙っちゃいられない怖い時代だしな、話せないなら好都合。
しかも女とは、いい拾い物をしたね」

 その顔が下りてくるのを、ミサキはどうする事も出来ずに見開い
た目で凝視し続けました。

 この、憎たらしい言葉を話し、下卑た笑みを浮かべた男は誰。
私が心から求めて、会いたい一心で一族を捨てた、天使みたいに清
らかな美貌のあの方はどこに。

(嘘よ)

「さてと。俺に逆らうとどうなるか。身をもって知ってもらおう
か」

(夢よ)

「くくっ。これから毎日が楽しみだな」

(信じない)

 ミサキの声が出るならば。

 だーまーさーれーたー! と叫んだ事でありましょう。
ミサキは、悪魔のような王子の奴隷として、彼の側に置かれる事に
なったのです。

 哀れミサキ。





 ――教訓:男を顔だけで判断して飛び込むのはやめましょう。


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