あらすじ:甘えったーヨメ社会人×八歳年上激甘ダンナ社会人。ある日マタニティブルーのヨメを
誘って散歩に出たものの、ヨメは超絶不機嫌。
んんーっと大きく伸びをして、秀一はゴロンと芝生に横たわった。
気持ち良さそうな夫の姿をじろっと睨んで、美和はぶすくれながら
体育座りをして、膝を抱えた。
「どこまでも青い空、ぽかぽかの陽気、気持ちいいねえー」
「日焼けする紫外線、あーあー最悪」
ほわーんと微笑む秀一に、どすの効いた声で美和が横槍を入れる。
気にした風も無く、秀一は続ける。
「じゃあ、これはどう? 生命の芽吹く季節。色とりどりの花が」
「雑草が生えたら抜くのが面倒なだけだもん、咲いていらんわ」
「……ううーん、では。タケノコわらび、ふきやたらの芽、春の味
わいが」
「私が山菜嫌いなの知ってるのに嫌味?」
ああいえばこう返す美和に、秀一はゴロ寝したまま肩をすくめた。
ふくれっつらで、美和は秀一を見ようともせずに、ぶつぶつと文句
を垂れ流し始めた。
「春の穏やかな日差しの中を散歩に出るのは体にもいいよ、楽しい
よ、なんて言って、無理矢理人を連れ出して。ぜーんぜん楽しく無
いんですけど。私、春なんて大嫌いっ。花粉で鼻ずるずるだし、来
るんじゃ無かった」
「そっかー」
同意でも否定でも無い曖昧な返事をして、秀一は肘を付いて妻の
方を向いた。
彼の経験では、こういう時の否定は相当まずい。
かと言って、同意して表面的な理解を示そうものなら、知った顔を
するなお前に何がわかると怒り出すのだ。
そして大事なのは、妻が話を始めたら、神妙な顔で向き合って相
手をする事。
これを怠ると、近頃やくざ状態の妻は聞く姿勢がなってないと激怒
しはじめるのだ。
「お散歩来たのは誰が悪いの? 誰のせいで私は怒ってるの?」
「……え、僕?」
苦笑して、秀一は確認を取る。
「ごめんなさいは?」
「はい、ごめんなさい」
とりあえず謝っておこうと寝たまま頭を下げると、美和は口をむ
うっと結んで、益々不機嫌な顔になった。
トップスの生成りのレースのチュニックのすそをいじいじしなが
ら、美和はまだ何か言いたそうに口を突き出している。
秀一をちらっと見て、前を向いて、ちらっと見て。
美和は俯いて、足の間の芝をむしり始めた。
ああ、多分。
今のは少し自分が言い過ぎたと自己嫌悪に陥って。
でも口に出せないんだろうなと、秀一には美和の心理が手に取るよ
うに解った。
美和との付き合いももう三年目になる。
単純な美和は何でも顔に出るので、考えている事も読みやすい。
「……やっぱり。た、たまには、散歩も悪く無い、かもね」
つっかえつっかえ、美和が棒読み調にそう言って、秀一の反応を
伺っている。
「そうだね」
穏やかにそう答えてにこりと秀一が笑うと、美和はほっとした様
に表情を緩めた。
さわさわさわと、ゆるやかな風が二人の間を抜ける。
ぼうぼうに自生した菜の花の群生が、放射状に伸びきった茎を風
に震わせて揺れる。
その間を一匹のみつばちがぷるぷると飛行して、最後に慌てた風情で
一気に飛び出して行った。
ひらひらと回転しながら、花びらが一枚、美和のモスグリーンの
カーゴパンツの上に着地した。
その後一枚、また一枚と、黄色の雨が自分の体に降り注ぐのには全
く気がつかず、美和は物思いにふけっているようだ。
先ほどとはうって変わって、今度はとろーんとした目になって、
何度かまぶたをゆっくりと上下させて、美和は眠たそうに額を膝に
乗せた。
やっぱり、車で来てあげれば良かったかな、と秀一は妻の様子を
気遣う。
近頃塞いでいたから、少し散歩でもすれば気分も変わるだろうかと
思ったけれど。
「美和、しんどい? ゴロ寝してみたら?」
「汚れちゃうし……しんどくないから大丈夫」
美和が首をもたげて、気だるげに、ゆっくりと首を振った。
「ちょっと眠いのと、今ちょっと」
「気持ち悪い?」
「うん」
口を味わう様にもぐもぐさせて、美和は眉間に皺を寄せた。
今まで秀一は、つわりと言う物は「ううっ」と突然襲って来てトイ
レに駆け込んでゲエゲエする症状だと思っていたが、どうもドラマ
とは違うらしい。
美和に言わせると「朝起きた瞬間から、よっ、と取り憑いて来て、
寝るまでストーキングして来る嫌な奴」なのだそうだ。
ずっとむかむかと口の中の苦味が付きまとっていて、食べても気持
ち悪く、食べなくても気持ち悪く、どうにも出来ないのだとか。
お陰で、ここしばらくの妻の機嫌は最悪だった。
普段の我儘は軽くいなせる秀一でさえも手を焼くこともある位だ。
「もー、やだ」
片手でぶちぶちと草をむしって、美和がこぼした。
「いつまでこんなのが続くんだろ。もうー、ほんとむかつく」
「もう少しだって、本にも書いてあっただろ。頑張れ」
「それっていつなの!?」
秀一の言葉に引っ掛かりを覚えたのか、美和がきっとなって夫に
顔を向けた。
「もう少しって、人事だから言えるんだよ。朝から晩まで辛くて、
一日が長くて、何しててもつまらないんだよ。頑張れなんて、気軽
に言わないでよ。何で私ばっかりこんな思いしないといけない
の?」
ばん、と地面を手で叩いて、美和はどうにもならない苛立ちをぶ
つける。
「こんな思いするなら、もう、子供なんてさ、いら……」
「美和」
秀一が強めの口調で、妻の暴走を遮った。
片手を突いて体を起こして、秀一は美和をじっと厳しい目で見て
たしなめる。
「そういう事は言っちゃいけない。それは僕でも怒るよ」
「要らないものを要らないって言って、何が悪いのよ」
「黙りなさい」
滅多に怒らない年上の優しい夫の、いつになく怖い声音に、美和
はびくっと首をすくめた。
「自分が言われたらどう思う? そんな事もわからないの?」
美和は不服そうな顔で、上目遣いで黙ったままだ。
秀一は視線を外さず、追求を緩めない。
大抵の我儘も駄々も笑って許してやれるが、言っていい事と悪い
事はきちんとあるのだから。
「謝りなさい」
「……」
「美和」
固く結んだままの口がやがてぷるぷると震え出して、美和は眉間
に力を入れて、下唇を、顎に皺が出来る程に強く吸い込んだ。
ああ、これは泣く前の顔だな、と秀一には一目瞭然だったが、け
じめは付けさせないといけない。
「もう言わないと約束しなさい。出来るね?」
「……はい、ごめんなさい」
「いい子だ」
頭をよしよしと撫でると、途端に美和の目から大粒の涙がぽろり
と一粒。
「あのね、会社行くの辛いの。電車でオヤジ臭がすごくて、殺意覚
える位なの。お酒も飲めないし、好きな服も着られないし、もうね、
辛いの。これがずっと続くと思ったら、辛いの」
「うん」
何度も聞いた愚痴だったが、おくびにも出さずに、秀一は相槌を
打つ。
美和はごしごしと顔を擦って、鼻をすすりながら俯いた。
「それに、ぶさいくになっちゃったでしょ」
「……え?」
小声だったのと、思いもよらない方向に話が行ったのとで、秀一
は答えに迷って聞き返した。
「お肌はガサガサだし、メイクも気持ち悪いから出来ないし、お洒
落も出来ないんだよ。一気におばさんになっちゃうかも」
「ぶさいくなんかじゃ無いよ。 それに僕の方が美和よりずっとお
じさんなんだから、気にしなくていいと思うけど」
「するもん」
泣きながら話したせいか、えずきそうになる妻の背中をさすりな
がら、なるべく優しい声で秀一は慰めの言葉を掛ける。
そうか、と秀一はしみじみと納得する。
こういう時の女性は色々と心労が有るのだなあと。
「ぶさいくだよ。毎日怒ってばかりだし。もう、私の事嫌いになっ
ちゃったかもって。秀一に浮気されちゃったらどうしようかって思
ったら心配なの。それが一番辛い」
「う、浮気!?」
とんでも無い単語が飛び出して、秀一は焦る。
美和が下を向いたまま何度もしゃくりあげた。
(それは飛躍しすぎじゃないか?)
「絶対しないよ、考えた事も無い。浮気はしません」
痛くも無い肚を探られたら敵わないと、慌てて秀一は否定する。
美和が、ばっと顔を上げて、真面目な顔で言い募った。
「だって! 私、これから風船みたいになっちゃうんだよ。お相撲
さんみたいになっちゃうんだよ。どすこいどすこいコロンコロンだ
よ。それでも絶対しないって言える?」
(風船。お相撲さん。どすこい。コロンコロン)
本人の深刻さと、表現とのギャップに可笑しくなって、秀一は思
わずぷっと噴出してしまった。
「おかしくないっ」
涙を一杯に溜めた目で夫を睨んで、美和が頭をぶんぶんと振った。
(全く、この子は)
こらえきれない小さな微笑が、秀一の口からふわりと零れた。
ユニークと言うか、何と言うか。
感情表現が豊かで、怒ったかと思えば泣いて。
甘えん坊で、意地っ張りで、毎日僕の手を焼かせる難しい奥さん。
僕がどれだけ君を可愛く思っているか、大事に思っているのか。
全然、分からないのかなあ。
「僕が申し込んだ時に、何て言ったか覚えてる?」
「……うん」
くすくす笑い出した秀一に毒気を抜かれたのか、美和はおとなし
くこくりと頷いた。
「一緒に年を取っておじいさんおばあさんになろうねって言ったよ
ね」
「で、美和がロマンティックじゃないってへそを曲げたので、僕は
困ったんだよねえ」
あの時は大変だったなあ、と秀一は一年前の春に思いを馳せる。
ご機嫌を直してもらうのに、苦労したのだった。
「美和は怒ったけど、僕は本当に楽しみにしてるんだ。君はどんな
おばさんになるのかなとか、どんなおばあちゃんになるのかなと
か」
「鬼ババになるかもよ」
「それでもいいよ。たとえ、美和がザマス眼鏡のごっついおばちゃ
んになっても、美和ならいいんだよ」
それはさすがにならないから! と美和が心外そうに声を上げた。
秀一は笑いながら、妻の額に張り付いた菜の花の花びらをつまんで
取ってあげた。
「僕は全然気にしないよ。きっと、可愛いお相撲さんになるんじゃ
ないかなあ」
うむむむ、と、微妙に難しい顔で美和が唸った。
可愛いはともかく、お相撲さんと言われたら複雑な心境なのだろう。
「だから僕が臭いオヤジになっても、殺意を覚えないでくれます
か? おあいこって事で。捨てないでくれる?」
真面目な顔を作って秀一が手を合わせて哀願の真似をする。
「捨てないでって」
破顔して、美和は声を上げて笑い出した。
頬の涙が白い跡を残して乾いて、かさかさになった肌がしわっとよ
れた。
髪も振り回したせいで乱れてぶわっと膨れている。
全く飾り気の無いお互いの姿。
ロマンティックとは程遠いさりげない言葉の交換。
そこに潜ませた、深い愛情。
一年前には知らなかった、この緩やかな関係こそが、今の秀一に
とってはかけがえの無い物なのだ。
菜の花をはらはらと落としながら笑う妻の姿に、秀一は暖かく満た
される。
「本当は、春は好き。だって、秀一と会ったのも、プロポーズされ
たのも、春だから」
今度は美和が、秀一の肩から花びらを払い落としてくれた。
それからふいにぱあっと顔を輝かせて、美和は声を上げた。
「あっ! ねえ。春って、三人で日向ぼっこなんじゃない?」
意味がわからずぽかんとする夫の手を取って、美和は掌に指で
「春」の字を書いた。
「三」と「人」と「日」。
ああ、なるほどね、と秀一が感心して自分でも指文字を書いた。
「ばらばらにすると似てるかもね」
「ねっ。素敵な偶然」
しばらく考えて、美和は首を傾げた。
「でも今年は二人と半分? だから来年だねっ」
にこにこと、すっかりご機嫌になって、美和は立ち上がって伸び
をする。
ぐるっと芝生貼りの公園を見渡す美和。
「来年の春も、ここに散歩に来ようね」
「そうだね、今度は三人で」
二年前まで、美和の居ない春を迎えていた。
一年前は、こうして二人で暮らす生活がどんな物か想像も付かなか
った。
新しい家族を迎える来年は、どんな自分達になってるのだろう。
再来年は、その先は、どうなるのだろう。
(本当は、春の成り立ちはちょっと違うんだけど)
でも、今の自分達には、そう解釈する方がしっくり来る。
そういう小さな素敵を見つけるのが上手な美和だから、誰にも換え
られない大事な人なのだ。
美和となら、どこまでも行ける。
だから春はいつまでも、優しい顔をして巡って来るだろう。
立ち上がりながら、秀一は、駆け出した美和を止めようと、大慌
てで後を追いかけた。
(終)
「はるこい。」企画参加作品です。
****
読まなくても困らない後書き。
□らぶえっち同盟様□で主催されてる、□「はるこい。」□に混
ぜて頂こうと書いてみました。
こんなちんまいのが混じっていいんかいと思うがあれだ。
枯れ木も山の賑わい。
「はるこい。」とは、三月〜五月までの間に、色んなサイト様で
春をテーマにした小説やイラストを発表されるという楽しそうなお
祭り企画です。
投票コーナーもあって、読者様参加型なムード。
同じ春でも皆さん解釈が全然違うのです。
面白いです、お時間の有る方は是非。
ほとんど短編ですので、ちょこちょこ読めますよん。
春ってなんぞね? と思ってすぐに、三、人、日、って思いつき。
そこからこの話になりました。
この短編用に、即席でカポキャラを作りました。
八歳位離れてる、甘やかし放題旦那アンド気の強い嫁みたいです。
なんか。
ものすごい甘酸っぱい新婚ぶりに、鼻汁が出そうになりました。
これでもおいらは精一杯。
ちなみに春の成り立ち。
日がさして、土から芽が出る様子を表した物みたいです。
(本気で三、人、日、だと思って、自分鋭いゼ!グッジョブ!って
天狗になってた事は世間には内緒にしておいてください)
読んで下さった方、ありがとうございました。
2006.04.18
hana拝
菜の花画像:天の欠片様