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第一章 7年目の再会 3

 かなり渋られた後に、ようやく取り付けた返事を確認して電話
を切った。
それから、煙草を取り出して、唇に咥えて火を探す。

(参ったな)

 苦笑いが漏れる。

『初めまして柚木です。未熟者ですが、ご指導宜しくお願いいたし
ます』

 完璧な挨拶と華やかな営業スマイル。
しかし目は全く笑っていなかった。

 終始、こちらを見ようともしない。
気の無い顔で話に加わるものの、言葉数も少なかった。

 自分の立場で言うのも何だが、何年も前の事をいつまでも引きず
られても困る。
そういうくだらない事に煩わされるのは御免被りたい物だ。
この先チームを組まなくてはならない都合上、まずは穂香との関係
を良好に保つ必要があると判断した。
ひとまず、こちらから歩み寄ってやらないと難しいだろう。

 紫煙をくゆらせながら、隆司は目の前のマンションを見上げた。
灯りが消えたから、もう降りて来る頃だろうか。

 ガラス戸のエントランスの向こうから、エレベーターを降りる人
影が見えた。
慌てて出て来たのだろうか、ジーンズにジャンパーをひっかけただ
けのカジュアルな格好だ。
昼間とはうって変わって、素顔に洗いざらしの髪の穂香は、学生と
間違えられそうな幼げな風体だった。
隆司の視線に気が付いて、穂香が慌てて髪をなでつける。

「お風呂、入ってたから」
「遅くに悪かったな」

 立ち話も何だから、と穂香を誘導して車に乗り込む。
車内をエンジンの音と、気まずい沈黙が支配した。
穂香は助手席で、窓の外をじっと見ている。

「何か食べる?」
「もう食べた」
「じゃ、どこかで何か飲むか?」
「コーヒーなら飲んでも良いけど」
「わかった。じゃ、近くの店にでも入るか」
「明日早いから、それも面倒。缶コーヒーでも買って車内で飲まな
い?」

おや、と眉を上げながら助手席を横目で伺う。
隆司の意味ありげな視線に、穂香が問う。

「何か変な事言った?」
「いや。昔は『何でも良いわ』が得意技だったのに、ちゃんと意思
表示出来るようになったんだな。感心感心」
 
 穂香が何とも言えない微妙な表情で、眉を寄せてこちらを見る。

「ここは怒る所なの?」
「大人になったなって褒めてるんだよ」

 穂香が憮然とした面持ちで黙り込んだ。
隆司は、車を停められそうな裏道を見つけて駐車する。

「で、今日は何の用? さっさと言ってくれる? 昔話をしたいな
んてくだらない用なら帰るわよ」
「怖いな。穂香と久しぶりにゆっくり話したいと思うのはおかしい
か?」
「おかしいです。それから馴れ馴れしく名前で呼ばないで下さい」

 容赦無い口調に、又も、隆司は苦笑を禁じえなかった。
身から出た錆とは言え、随分嫌われたものだ。

「そこでコーヒー買って来る」

 言いながら、ダッシュボードに斜めに腕を伸ばす。
びく、と穂香が慌てて身を引いた。
緊張で体を硬くしているのが、お互いの服越しに感じられた。

「小銭、取りたいんだけど」
「……どうぞ」

 不自然に固まったままで、穂香が視線をきょときょとと右左に彷
徨わせた。
その小動物めいた仕草に、からかい心がつい沸き起こる。

「もしかして、期待しちゃった?」
「してません!」

 むきになって睨んでくる目が今にも泣き出しそうで、顔は耳まで
真っ赤になっている。
精一杯虚勢を張って居るのだと、我知らず、可愛さに小さく笑みが
こぼれた。

「何がおかしいの」

 隆司は、真面目な顔になり、穂香の顔を覗き込んだ。

「あの時は、ひどい事を言った」

 突然の言葉に、穂香がぽかんとして相手を見返した。

「俺は子供だった。いや、今もそんなに変わっては無いけど。あの
時、色々と苛立つ事があってお前に当たってしまった。ずっと気に
なっていて、忘れられなかった。その事を謝ろうと思って、今日は
来た」
「隆司……」

 穂香が肩の力を抜いた。
真摯な顔でこちらを見て、次の言葉を待っているようだ。

「お前は俺と話すのも嫌かもしれない。だが、縁が有ってパート
ナーになった以上、虫の良い話だが、仕事に私情は挟みたくない。
お前にも協力して欲しい」

 大きな目を見開いて、穂香はじっと隆司を見返した。
それから、そっと目を伏せた。
何かに耐えるように、きゅっと唇を噛み締めて考えこんでいる。

 隆司は辛抱強く、相手の返答を待った。

「わかった、努力する」
 
 穂香が、ため息混じりに、言葉を吐き出した。

「今日、私の態度が悪かったのは認める。あの時の自分は褒められ
た物じゃ無かったと後で反省した。でもそれは、隆司が居たからじ
ゃない」

 穂香は、顔を上げた。
その顔は水面のような静けさ取り戻し、きりっとした潔い女性の表
情が、はにかんだ女の子の顔を払拭していた。

「私はそこまで馬鹿じゃ無い。私の行動の責任は、全部自分の未熟
さにある。あなたには関係無い」

 帰るから、車を出して。
そう小声で言ったきり、穂香は黙り込んでしまった。

 車を降りるときに、小さく、今日は来てくれてありがとうとだけ
言って、穂香は小走りにエントランスに消えて行った。





「もしもし、お母さん? 遅くにごめんね」

 灯りもつけない真っ暗なリビングに、穂香の声だけが響く。

「うん……元気。仕事は上手く行ってる。毎日楽しくやってる」

「何でも無いの。ちょっと気が向いて電話しただけ。お父さんの七
回忌にはそっちに帰るね」

 おやすみなさいと電話を切って、そのままラグにごろんと横たわ
る。

『ホノカ、誰かを赦すのは、自分を赦すのと同じ事だ。
そして、誰かを赦せないと、自分を赦せない』

 脳裏に、自分を救ってくれた言葉が蘇る。

『それが出来るようになった時、人は本当に強くなれる』

 難しいよ、そんなの綺麗事じゃないの?

『誰かを憎む暇があったら、自分に栄養を与えてあげるといい』

 でもやらないといけないんだよね。

 穂香は、こらえきれずに顔を覆って、小さく嗚咽を漏らした。





 ムトウ東京本社ビルは、日本橋にあった。
百年以上前に創業者が呉服屋を開店した場所を買い取って、200
0年に本社ビルを移転したのだそうだ。

 桐澤商事は何度も出向いた事があったのだが、ムトウに来たのは
初めてだった。
考えてみたら何とも自意識の薄い事だと、自分で自分を情けなく思
いながら、穂香はおのぼりさんよろしく、受付を探した。

 受付の案内に従いエレベーターに乗り、廊下を迷いながら目指す
部署を探した。
ぐねぐねと曲がった迷路にドアが並んで、ガラス戸には小さく部署
名が出ているのみ。

(何でこんなにわかりづらいのよ)

 一説によると、部外者が入り込んで勝手に漁って回らないように
ややこしい構造にしているとの話だが、まさしく部外者の穂香には
知る由も無い。
 
 うろうろと挙動不審に歩き回る穂香は、自分を見咎めて観察する
人間が居る事に、全く気が付かなかった。
胸にファイルを抱えたスーツ姿の女性は、すれ違い様に振り返って、
しばらく考え込んでいたようだった。
それから自分の記憶の中の出来事を探し出したのか、あっと小さい
声を上げて穂香をそっと追いかけた。

 目指す看板を見つけて、ほっとしながら室内を覗きこんだものの、
隆司の姿は無かった。

(不在なのかな)

 思いつきで来てしまった事を後悔するが、今更仕方が無い。
穂香と同じ年頃に思える、話しやすそうな男性に声をかける。

「あの、すみません」
「はい?」
「仁科さんは、いらっしゃいますか?」
「仁科は席を外しております」

 相手が申しわけなさそうに返事を返す。
それから、すぐに戻りますからと、穂香を応接間に通してくれた。

「お手数かけます」
「いえいえ、こんな美人のお客様でしたら、いつでも大歓迎です。
あ、自分、横田と申します」

 気の良さそうな男は、礼儀正しく名刺を差し出した。
それから、穂香にコーヒーを勧める。

「仁科さんはもう経営戦略部に移られたんですよ。ただ急な帰国だ
ったので、引継ぎの関係でまだこちらにいらしてるんです」
「以前は、どんな仕事をされていたのですか?」

「主に中国関係の仕事です。うーんと、現地で紡績関係の工場を作
ったり、まあ、大雑把に言うとそんな内容です。自分も最近まであ
ちらでご一緒していたんですよ」
「まあ、そうだったんですか」
「独身で飛ばされたから、彼女を作る暇も無いんですよ。そうだ、
今度是非、販売員さんとコンパでもやってくれませんか?」

 穂香がぷっと吹き出す。

「面白い人ですね。仕事中にナンパしてたら怒られちゃいますよ」
「はは。あ、仁科さん帰って来た、やばいやばい」

 ごゆっくりと冗談めかして笑いながら、横田が席に戻りつつ、通
りすがりに、隆司に客の存在を指して行ってくれた。
隆司は電話中のようだった。
応接間の穂香に意外そうな顔をして、話しながらこちらにやって来
る。

「そうですね。その件は、僕から伝えておきます。はい、わかりま
した。では」

 そう締めて電話を切る隆司を見ながら、穂香はちょっと笑って、
上目遣いに見た。

「何だ」
「ボクだって。よそ行き声で話してる」
「お前な。俺は忙しいんだ。遊びに来たなら帰れ」

 隆司がむっとしつつ、腕組みしながら穂香を見下ろす。
それからポケットを探り、煙草を取り出して火を点けた。

 髪は手で撫で付けただけのくしゃくしゃ頭だし、ネクタイも上着
も脱いで、ワイシャツも皺になっている。
外での気取った姿とは全く違う姿だった。

「一人カジュアルデーかしら」
「悪かったな。両方からお声がかかって着替える暇も無いんだから
仕方が無いだろう。とっとと用件を言え」

 穂香はすうっと息を吸い込んだ。
それから、さっと頭を下げた。

「昨日は、ちゃんと話に来てくれたのにごめんなさい。私が悪かっ
たと思っています」

 煙を細く吐き出しつつ、隆司が怪訝そうに目を眇めた。
どっかりとソファに腰を下ろして、聞く姿勢を態度で示す。

「昔の事は、もう終わった事よ。確かに最初は驚いたけど、もう気
にしてないって、昨日きちんとそう言うべきでした」

 それから、穂香は自分の気持ちを語った。

 ずっと同じ仕事をして来て、他には何もわからない事。
 経験の少なさに引け目を感じてしまい、この仕事をきちんと出来
るかどうか、自信が持てない事。

「それが、未熟って意味です。あなたに当たってしまってすみませ
んでした」

 黙って聞きながら煙草をふかしていた隆司が、ため息を付きなが
ら火を消した。
肘を付いた方の手で口を覆う相手を、穂香は心配そうに見つめた。
隆司が考え込む時の癖だ。
自分は何か良くない事を言ったんだろうか。

 ほど無くして、隆司が口を切った。

「俺だってそちらの分野には素人なんだから、気に病む必要は無い。
お互いが違う物を持ってるから提携する意味があるんだろう」
「そうなのかしら」
「お前は自分の出来る事をやれば良い。こちらがまとめてデータを
作成する、それが俺の仕事だろうが」

 ほっとして、穂香の顔がぱあっとほころんだ。
最初に見せた形だけの営業スマイルでは無く、心からの無防備な笑
顔だった。

「ありがとう。仲直りね。私、努力するから」

 その時隆司が気まずそうに目を逸らした事に、穂香は全く気が付
かなかった。

「じゃあ帰るね」
「ああ」

 廊下に出て、別れを告げようとした時に、二人の間に入り込むよ
うに、さっと人影が割り込んで来た。

「隆司」

 藤色のスーツをぴったりと着こなした、艶めかしいロングヘアの
女性を目にした時、穂香も又、驚きの声を上げていた。

「この子、どこかで見た事があると思ったら、以前あなたを追いか
けてた子でしょう」

 穂香を上目遣いに見ながら、敵意を隠そうともしないその女の顔
に、思い出したくも無い記憶が蘇った。

「あなた何? 又隆司に付きまとうつもり?」
「美那子、違う」

 隆司が制止しながら、穂香に行くように顎をしゃくる。

「お前には関係無い事だから、口出しするな」
「だって」

 穂香はきびすを返すと、逃げるように早足でその場を離れた。

(あの人、同じ会社だったんだ)

 七年前、隆司の部屋で出くわした時に、自分に鋭い一瞥をくれな
がら、棘のこもった言葉を投げつけて来た人。
多分、彼と特別な関係にあった人。
匂い立つような色気を漂わせた、艶やかな、本物の大人の女性。

 少し胸が痛むのは、昔の悲しい恋の名残なのだと、その時は本気
でそう思っていた。


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