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5

 ロッカー扉の裏の鏡を覗き込んで、簡単に私はメイクを直した。
デートって言うのも違うけど。
何たって相手は中本だし。

 でも、一応、好いてもらってるみたいだし。
食事に誘われているのに、剥げた化粧のままでは失礼かなって。

 更衣室の扉が開いて入って来た数人を見て、私は密かに憂鬱にな
って見ないふりをする事にした。

 才媛グループの皆様が、談笑しながら各自のロッカーに散った。
元々馬鹿にされて、色々言われるのには慣れていたけど。
近頃営業の女子社員の風当たりが更に強まった気がする。
ちょっとした言動にトゲを感じるし、時々当てこすりみたいな事を
言われたりする。

 メイク直してる所なんて見られたら、何を言われるかわかったも
んじゃ無い。

 普通にまっとうにやってるつもりなんだけど。
男に受けようとしていい子ぶってるって陰口を聞こえよがしに言わ
れた事が何度もあった。
例えば当間とか、中本とか、釣られて営業の男性陣が気軽に色々私
に頼んで来るのだけど、それを嫌な顔で遠巻きに見られていたりす
る。
私が色目を使ってると、そう受け取られてるみたい。

 女の世界って怖いのよ。
一回敵にされると絶対に許してもらえないの。
嫌いな奴がする事は、何してもむかつくのよ。
当初に一匹狼ぶってたり、調子に乗ってしまった事がまだ尾を引い
ていて。
私は未だに女性社員の中では浮いた存在だった。

 だから、栄子しか親しい友人は居ないのよ。
栄子もある意味浮いてるけど、あの女はわが道を行ってるからそん
な事は全く意に介さない。
でも小心者の私には、この集団は結構恐ろしい。

 私を見て、何かひそひそ言ってるけど、私は聞こえないふりをし
て髪を直してトワレをさっと一噴きした。
どうせ、今日は誰とデートかしらなんて言われてるんでしょ。
私の無い事無い事を噂にして流してるのもこの人達かなと密かに目
星はつけていた。
証拠は無いけどね。
だから妙な噂が後を立たないのだと思う。

 まあ、いいけどさ、今更。

 噂したけりゃすればいいわよ。
その内辞める予定なんだしさ。
こんな会社、こっちから辞めてやるわよ。




 案内されたのは、イタリアンレストランのちょっとした個室感覚
のブースだった。
要は高めの腰壁で仕切られてて、何となく周りと遮られてる感じの
テーブル席なんだけど。

 いつになくおとなしい中本と向き合って、私までが緊張して畏ま
って座っていた。
いつもはもっと軽口を叩くのに、中本は今日は無口で、たまにこっ
ちを見て口を開き掛けてはやめる。

(調子狂うなあー)

 私も困ってしまって、ひたすらパスタを黙々と口に運んだ。
中本が意を決したみたいに顔を上げて私を見て口を開いた。

「で、あのさ。どう思った?」
「なに?」
「いやだから。こないだ話したこと」
「あー……」

 どう思ったって聞かれても。
ぴんと来ないわよ、いつもからかってた癖して。
一体何をどう勘違いして好意を持ったのか、それが判らない。

「どうして私なのかそこからしてわからないし、戸惑ってるのが正
直なとこ。ごめんね」

 失礼にならない程度に言葉を選ぶ私。

「だって、私だよ? 全然女らしく無いし、可愛げも無いし。いつ
も中本だってそう言ってたじゃないよ」
「ううーむ。それは言ってたけど」
「どこ見てそうなるのかこっちが知りたいよ」

 言葉を濁すのも今更だし、私は思い切ってずけずけと聞いた。
中本が困った顔で、フォークを持ったまま頭をぽりぽりと掻いた。

「それはさー、謝るよ。途中から生田が気になってたんだけどさ、
最初からそういうノリだったから変えにくかったってのがあってさ。
でも結構前から生田に目が行ってたんだよなー」
「そうなんだ。物好きな」

 私はさくっと切り替えしてから、しまった、こういうのが可愛く
ないんだろうなあとちょっと後悔して追加する。

「ほらだって。私余り評判良く無いみたいだし。遊んでるとか、気
が強いとかさあ。だからさ」
「そんな事無いんだけど。確かに最初はお前、ギャルですげーなっ
て引かれてたけどさ」
「正直に言いすぎ」

「はは、ごめん。でも生田は変わったよ。落ち着いたって言うか、
雰囲気が柔らかくなってって言うか」
「気のせいじゃない?」

 さくっと流したら、中本はむきになって身を乗り出して来た。

「気のせいじゃねーって。ちょっと前に何人かで話してた時も、そ
ういう流れになってさ。生田は可愛いよなって。その場に当間も居
たんだよ。それで俺、こないだの見て焦ってやべーって思って」

 どきっとした。
その時適当に相槌を打ちながら、当間はどう思っただろう。
あいつの本性はそんなんじゃねえぜって、笑い出そうとするのを我
慢したかもしれない。

 私が無言になったのをどう取ったのかわからないけど、中本は一
生懸命話し続けている。

「生田は付き合いも悪いし、なかなか話す機会も無くってさ。だか
ら俺も声掛けるチャンス待ってたんだけど」

 もしも私が好意的に見られたとしたら。
それは、格好が変わったからだよね。

「別に今すぐ付き合ってって言うつもりじゃ無いけどさ」

 前みたいに、ゴールドの小物持って、ピンヒール履いて、露出の
高い服を来たギャル風のファッションの私じゃなくて。




 手を洗いながら鏡を覗くと、柔らかくカールさせた髪を背中まで
ふわーっと伸ばして、前髪を花のコームでさくっと止めた自分が写
ってる。
髪の色は、フロスティメッシュも入れてなくて、淡い栗色の無難な
カラー。
メイクも茶色でまとめて、リップもピンクベージュ色。

 ピンクのレースのカシュクールに、デニムのパンツとチェーンの
ベルト。

 確かに、普通の子っぽい。

 でも、中身は変わらないのに。
いつも周りに合わせておどおどしているだけの子で。
だからカメレオンみたいにみんなと同じ事をしてるだけ。
無難なメイク、無難な髪型、無難な格好。

 格好が変わった途端に好きだなんて言われても。
気持ちは嬉しいけど、複雑だよね。

 本当の私なんて、大したもんじゃ無いのに。




「で、結局断ったわけ?」

 栄子が横で立ったまま、腕を組んで確認する。
私は手に持った小さなジョウロを傾けて頷いた。

「うん、好きじゃ無いのに付き合えないよ。片思いの人が居るから
って断った。でも嬉しかったよ」
「いんじゃない? 中本なんて出世しなさそうだしー。愛が無いの
に付き合うには、ステータスが無いとねっ」

 栄子のいっそ気持ちの良い割り切りに私は笑えてしまった。
空になったジョウロを手に持って立ち上がる。

「あんたそれ口に出さない方がいいよ」
「出してるわよ。それでも我こそはと寄ってくる男を選んでやるん
だ。自信が無い男は大物になれないわよ」
「いいなあ、栄子のそういうとこ。自分を出して、それでも選んで
もらおうなんて、私には出来ないなあー」
「だから駄目なのよ。あんたをまんま受け入れてくれる男を探しな
さい。本当はジミーで、こっそりと花に水をやっちゃうピュアな静
和が好きだー!って言ってくれる人をね」

 栄子にからかわれて、居心地が悪くなって私は言い訳をした。

「これは。モチーフにスケッチしてるから、枯れたら困るからさー。
あんたね、これ人に話したらイタ電してやるからね」

 きょろきょろと人気が無い事を確認する私。
なかなか遠出する機会が無いので、私は良く裏の敷地にある花壇で
モチーフを調達している。
裏手にあって人が通らない所で、すごく落ち着くの。
ここでちょくちょくデジカメで写真を撮ったりしているのだ。

 中本はそうでも無いと言ってくれたけど。
女性の中では相変わらずいい顔をされてない私。
こんな所で一人で弁当食べてるとか、花壇に水をやってるとか。
知られたらきっと噂にされて、笑いものにされちゃう。

「あのさ、ところで。ちょっと気になる話を聞いたんだけど」

 栄子が口に出し掛けてからしばらく考えて、やっぱいいやと手を
振ってやめる。

「何よ、気になる」
「いい、小耳に挟んだだけだから、しっかり確認してからにするわ。
いー感じになってきた静和を邪魔したくないからさ」
「はっきり言いなさいって」
「いーよ、あんたすぐに人の言葉に迷うから。今度にする」

 変なの。

 奥歯に物の挟まった様な栄子は気になったけど、今日の私はそれ
所じゃ無かったので流しておく事にする。

 今日は、退社してから当間と約束している。

 どこに呼ぶべきかと迷って、私は自宅に招待する事にした。
人に聞かれたく無い話もするし、かと言ってラブホにも行きたく無
い。
もう、当間とはしないつもりだから。

 うちに来てもらって、ありのままの自分を見せて。
正直にこれまでの事を謝って。

 それで、当間とはさよならする。
今まで散々彼女に悪い事をして来た。
それなのに告白するのも図々しいのは判ってるけど。
どうせ振られるんだし、いっそすっきり全部吐き出して、さっぱり
と振られてしまおう。

 その後は、今までみたいな普通の同僚に戻れたらいいな。
それは虫がいいかな。

 中本には感謝していた。
付き合う事は出来なかったけど、好きだと言ってくれる人が居たら
少しは自分だって捨てたものじゃ無いと思えた。

 今度は、私をちゃんと見せて。
それでも好きになってくれる人を探そうと思う。




 私がドアを開けて招き入れると、当間はしばらく居心地が悪そう
に周りを見て、それからささっと中に入った。
アパートの玄関は狭いから、私はドアを開けたまま当間の後ろで待
った。

 こっちも居心地が悪い。
最近は友達しか呼んで無いから、男が家に居るってのが落ち着かな
い。
まして、相手が当間となると。

 当間は、一緒に電車に乗ってる間、口数が少なかった。
今も無言でリビングに座って、ちらちらと部屋を見渡している。
リビングって言ってもワンルームだから、狭い部屋にベッドと家具
が有るだけ。
余り見られると気まずいんだけど。

 私はお茶を淹れて当間の前に置いて、クッションに坐った。

「あれ、すげーな」
「ん? あー。ちょっと趣味でやってるから。材料がどんどん増え
ちゃってさ。散らかっててごめんね」
「いや、俺の部屋の方が散らかってるから大丈夫」
「それフォローじゃ無い気がするんだけど」
「えっ、ほんと? ごめん、全然片付いてると思うよ、まじで」

 当間が正座して直立不動で謝ったので、私は笑ってしまった。
どうして正座するかな当間。

 いい感じ。
今なら言えそう。

「あのさ、今日は話があって」

 私は当間をまっすぐに見ながら、話を始めた。
当間が私の顔を見て、ちょっと眉間に皺を寄せる。




 当間が言った通り。
やってみない内から気取ってるなんて、格好悪いよね。

 当間がそう言ってくれたから、私は自分の夢を見つけた。
だから、当間を好きになった。

 当間に言いもしないで、周りくどい方法で近づいて。
そんな私じゃ、好きになってもらえる筈も無かった。
好きになってもらおうとは思わないけど、最後に本当の私を見せた
いよ。
だから、せめて軽蔑しないで欲しい。
前みたいな当間に戻ってくれたら。




「もう、当間と会ってするのは止めようと思うんだ」

 私がそう言うと、当間は無言だった。

「色々と考える事があって。それで、こういう関係は良く無いっ
て」
「それは、新しい相手が見つかったからか?」

 当間が不機嫌な顔で、私を遮った。

「新しい相手?」

 意味が解らなくて聞き返すと、当間は、侮蔑を籠めた冷たい目で
私をじっと凝視した。

「今度は中本に乗り換えるんじゃないの?」
「中本、が、どうしてここで出るのよ」

 思いがけない名前に私は動揺して、つっかえつっかえ反復した。
全く関係無いって訳じゃ無いし、もしかして、中本から何か聞いた
かもしれないと思って。
それが表情や態度に出てしまったのだろう。
当初は探る様だった当間が、確信を得たのか一気に言葉を発した。

「どうしてって、お前の態度見ればわかるじゃねえか。中本は前か
ら生田を狙ってたし。お前ってほんとだらしねー女だよな。次から
次へと乗り換えて、尻軽すぎ」

 さーっと、自分の背中を冷たい水が降りていくみたいな感触。

「ちっ、違」
「でもさ、会社ではやめとけよ。人目も気にせずいちゃつくのは、
さすがにまずいんじゃねえの。通路でぴたーっとくっついて」

 この間、中本と話していたのを見られたのだろうか。
でも、最後の一回、ちょっと中本が耳を寄せただけで。
いちゃついてなんていなかったのに。

「あれは違うよ。いちゃついてなんか」
「お前が物欲しげにしてるから、中本もぐらっと来たんじゃねえ
の?それとも又、誘ったのかよ」

 本当に、自分が罰を受けてると身に染みて理解したのはこの瞬間
だった。
私がどんな真実を語っても、当間は信じないだろう。
だって、私が自分をそういう人間に見せ続けて来たんだから。

 当間の耳には、私の言葉は届かない。
私が当間と関係を始めたあの時に、私の恋愛は終わっていたんだ。

 うなだれて、私は自分の愚かさを呪った。
正座した膝に置いた手をぎゅっと握り締めて、過去の自分の取った
行動を、出来るなら取り消したいと思った。

 でもそれ以上に。
当間に、そこまで落とされる筋合いは無いと思った。
まだ私が何も言わない内から中本に乗り換えると決め付けて。
それでもヘラヘラ笑っているつもりはない。
私にだって、それくらいのプライドは有る。

「別にいいだろ」

 当間の声が耳元でして、はっと我に返る。
体が後ろに掬われて、上半身が後ろにどさっと返った。
当間の大きな手が、私の手首をベッドに縫い付ける。

「一人も二人も、変わらないんじゃねえ?」

 至近距離で私を見下ろしている当間の顔がライトから陰になって、
目は、暗くぎらぎらと光っている。
当間が何をしようとしているか悟って、私は自由になる下半身をば
たばたさせて抗った。

「やだっ」

 当間の顔が近づいて来るのを、顔を左右に振って避けようとする。
当間が苛立たしげに両手を重ねて押さえ込んで、残った手で私の顎
を掴んで、唇を押し付けて来た。

「んっ、んー!」

 当間の唇が私の顔を滑って、首筋に当てられて。
手が体を乱暴にまさぐる。

「やめてよ! もうしないって言ってるのに!」
「誰でもいいって言ってただろ」

 当間が服の中に手を入れて来て、私は一層体を捻って暴れた。
首にちくっとつねられたみたいな痛みが走る。

「良く無い! 誰としても、あんただけは嫌!」

 私が叫ぶと、当間の動きがぴたっと止まった。

 好きな人に、軽蔑されながらセックスするなんて、もう耐えられ
ない。
当間とするなら、他の知らない誰かの方がまだまし。
お金を貰って相手をしたって、ここまで惨めな気持ちにはならない。

 力が緩んだのに気がついて、私は当間を押しのけて横に逃げた。
手首をさすりながら、私は部屋の隅に縮こまって体を押し付けて、
全身で拒絶を示した。

「誰でもいいのは、当間だって一緒じゃないの」

 動かないままの当間に、私は言葉を投げつけた。

「あんただって都合がいいから私だったんじゃない。いつも私を馬
鹿にして楽しんでたじゃない。私嘘吐いてた。本当は楽しくなんて
無かった。その事に気がついてもくれなかったじゃない。私の事を
見ようともしてないのに」

 当間がのろのろとこちらを向いて、何かを言いたげにする。

「どうして当間に文句言われないといけないのよ。あんただったら
中本の方がまし。私を見て、ちゃんと好いてくれてるんだから」

 当間のこめかみがぴくっと引きつった。
冷たかったり、暖かかったり、色々な表情を見せる当間の黒い目が、
見た事が無い色を浮かべて揺れた。

 何故かその目に私までもが縫いとめられて、私は当間の顔から視
線を外せなかった。
何だろう、この目は。
何を言いたいんだろう。

 先に目を逸らしたのは当間の方だった。

「今頃になって言うなよ。生田があの時あんな事言わなけりゃ、、
俺は」

 当間は言いかけてから、髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。

「あー! 今の無しな。男らしくねえ」

 当間が頭を振って、それからさっと立ち上がった。
何も言わずに当間は私をちらっと見て、それから出て行った。

(言っちゃった……)

 妙な虚脱感が私を襲って、力ががくっと抜けて、私は壁にもたれ
かかった。


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