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中編

その日から数日、私は尚人に会うのを避けた。
と言っても、お互い予定が合わない事は多いし、毎日会ってる訳じ
ゃ無いしね。
一度ランチの約束を断ったけど、仕事が忙しくて昼休みにゆっくり
出来ないって口実をつけた。
それが尚人にどう映るかも考える余裕が無いから、とにかく忙しい
の一点張りで通してしまった。

 尚人に会ったら、責めてしまいそうだったし。
冷静になるまで時間を置こうと思ったの。

 考えてみたら、尚人が浮気したとしても、文句を言える立場じゃ
無いのかなあって思ったのよね。
だって私だって同じ事してたんだもの。
結果的に奴はフリーだったけど、私は彼女が居ると思いながら尚人
と会ってたんだから。

 自分が同じ事をしていたんだからいつかしっぺ返しが来るのは当
たり前かもしれないって思ったら、一度してしまった事の重さに、
改めて気がついたわよ。

 はー。

 もう二度と彼女が居る、と思ってる、男には手を出さないって心
に誓いました。
付き合った後も罪悪感が残ってしまうだなんて。

 あれは私みたいな小心者には向いて無い行動だったのよね。

 はー。

「何言ってるのよ、そんな事言ってたら恋愛なんて出来やしなわよ。
喰うか喰われるかなんだから。いい男にはもう相手が居るものよ。
欲しかったら奪うしか無いでしょ」

 栄子がそう言って、鏡を覗きながら口紅を塗りなおした。
現在栄子が狙いを定めているのは青年実業家らしいけど、とんでも
無い遊び人で、女が多数居るらしい。
それを押しのけて勝利を勝ち取るのに燃えているんだって。
さすがハンター栄子。

「それに、まがりなりにも静和と付き合ってるんだから。本当だっ
たら許しちゃ駄目でしょ。過去を免罪符になんて出来ないのよ。全
く、静和って自分を卑下しすぎなのよ」

 前と後ろでは内容が微妙に相反している気がするんだけど……そ
れは置いておく事にするわ。

「とにかく、ちゃんと話をしなさいよ。そこからよ」

 栄子がポーチをバッグにしまう。
今日はその実業家とデートだそうで、いつもの数倍気合いが入って
いる栄子はお色気むんむんで当てられそうだ。

 栄子位綺麗ならな、私だってもっと自信持てる気がするけど……。

(いけないわ、こうやって後ろ向きになっちゃ)

 着替えを終えて、更衣室のロッカーを出る。
廊下の先の方に、尚人と私服の女の子が連れ立って歩いているのが
目に入った。

 私服と言う事は、営業の子なのだろうか。
肩上の軽快なボブスタイルの、さばさばした感じのパンツスーツの
女の子。
尚人が楽しそうに何かを耳打ちすると、彼女が笑って肩を叩いた。

 きっとあの子に違いない、と直感する。

 その時尚人が一瞬私を見た。
咄嗟に目を逸らして、私は反対方向に歩き出した。

 しまった、おかしく思われたかもしれない。

 でも、尚人が抱き合っていたって子と居るのを見るのは辛かった
んだもの。
この間の電話の事を問いただす心の準備が、まだ出来て居ないのよ。

 弱虫だなあ私って、と自分を情けなく思いながら、足早に私は玄
関ホールを横断した。
そして玄関を出た所で、追いついて来た尚人に肩を掴まれた。

「何?」

 って私は平静を装って振り返ったけど、心臓はばくばく言ってい
る。
まだ正面切って向かい合う勇気が無いから、この場をどう切り抜け
ようか、そればかりを考えていた。

 でもそれを許してくれる性格の男じゃ無いのよねえ……。

 尚人は一瞬だけ迷った顔を見せて、それから視線を私に固定して。

「お前さ、ここ数日おかしくない?」

 といきなり本題に切り込んで来た。

「この間電話を途中で切ったからか? 悪かったな。あの時はちょ
っと取り込んでてさ」
「お……おかしいかしら。別に普通だと」
「おかしい。俺を避けてる。何で?」

 私が口の中で小声で反論をしようとするのを遮って、ずばずばず
ばっと、簡潔な言葉で指摘して、尚人は私の答えを待つ様に黙った。

 尚人が私の肩をしっかりと握ったまま、黒目がちの目でじーっと
私を見ている。
あー、これは逃がしてくれる気は無いな、と私は観念した。

(こういう時には、こいつの性格が恨めしいかも……)

 もっとうじうじした性格の男ならしばらく逃げ切れると思うんだ
けど、尚人相手ではそうは行かない。
栄子に言わせると、私にはこれ位の方が丁度いいのだそうだけれど、
余りにも性急すぎて、戸惑ってしまう事も多いの。

 こんな場所でする話じゃないし、何て切り出したらいいの。
迷って俯く私を観察していた尚人の顔が、みるみる内に険しくなっ
て行った。

「俺に言えない事でも有るのかよ」

(はっ? 何言ってるのよ)

 それはあんたの方でしょ、と口を開き掛けて、私は思い当たる節
が有りそうな尚人の真剣な顔を見て、驚いて黙ってしまった。
私が口を閉ざすのに、尚人は合点が行った顔でじろっと睨んだ。

「やっぱりな。お前、うちの課の石井と何か有るんだろ」

(はっ? 石井? 誰?)

 ぽかーんとしてしまった私の態度をどう取ったのか知らないけど、
尚人はうんうんと頷きながら自分の中で何かの結論を得た様だった。

「どうもおかしいと思ったんだよな。石井がやけにしつこいと思っ
てたんだよ。そりゃあさ、お前が良い顔してれば、あいつも調子に
乗るだろうよ」

 そこで私にもようやく話が見えて来た。
石井って、尚人が前に言っていた営業の子の事ね。
どうしてそうなるのか知らないけど、ここ数日の私の態度を、その
子が原因だと勘ぐられてるらしいわね。
それで尚人ったら怒ってるのね。

(冗談じゃ無いわよ)

 事態が飲み込めて来て、私は猛烈に腹が立って来た。

 自分の方が怪しい行動を取ってるくせに、良くもそうやって無実
の私を疑える物よね。
私の地味な生活知ってるでしょうよ。
尚人と会ってる以外は家できったない格好で、せっせと売り物作っ
てる様な女なのよ私は。
最近なんて暑いから、体中糸くず貼り付けて、汚さない様にしまむ
らで買った腕カバーしちゃってる、終わってる女なのよ。
他の男の相手してる暇なんか、どこにもありゃしないわよ!

 ……自分で言うのも情け無い話だけど。

「ふざけんじゃないわよ、何言ってんの。自分のしてる事誤魔化す
為だからって、ひどすぎない?」
「俺が何してるってんだよ」
「じゃあ、この間電話切った時、どこで誰と何してたか、私に言え
るの?」

 私の反撃に、尚人が黙った。
いきなりあからさまに目を泳がせて、動揺しているのが見て取れる。

(ほら見なさいよ)

 あんたの方が余程怪しいでしょ、他の女と深夜に何してたかって、
その態度を見たら言うまでも無いわよね。
口に出したらはずみがついて、私は更に言い募った。

「もうわかってんのよ。隠したって無駄。私じゃ相手にならないか
らって、他の子を誘うなんてあんまりじゃないの? それって裏切
りなんじゃない?」
「う……裏切りは大げさだろ。確かにお前じゃ駄目だろうなって思
って、それで他に行ったのは事実だけどよ。俺はお前が付き合って
くれるなら、お前でも良い訳だし」

 はあああああああ? 馬鹿にしないでよね。

 私がさせてあげないからって他の子とそうなったのが、裏切り以
外の何だって言うのよ。
それをお前でも良いって、何よそれ、冗談じゃ無いわ。
私は結局あんたにとっては、そういう位置付けなわけ?

 最低!

 私はかーっとなって、肩を握ったままの尚人の手を払った。

「私達もうお終いだから。サヨナラ」
「……ちょっと待ってくれよ。黙ってたのは悪かったけど、この程
度で別れるってのかよ」

 この程度?
尚人にとってはそうかもしれないけど、私には違うわよ。
少なくとも私は真剣に付き合っていたんだから。

「この程度じゃ無いわよ、大きいわよ」
「俺にはそうは思えない、単なる嗜好の違いだろ」
「……嗜好!?」

 信じられないわ。
嗜好で済ませる尚人の不誠実さに、呆れて何も言えない。
こんな男だったなんて、だったなんて、信じられない!

 私は強い決別の意志を籠めて尚人をきっと睨み上げた。
うろたえる尚人に、最後の一撃を加えてやるつもりだった。

「他の女とセックスするのが嗜好の違い? あんたには付いて行け
ない。あんたが良くても、私は嫌。絶対許さないからね」
「せ……っ? ……え!? え!? ちょっと待て、何か話が」
「触らないで! 付いて来たら悲鳴上げてやるから!」

 腕を掴もうとした尚人の手をびしっと叩いて、私はそのまま顔を
そむけて走り去った。

 尚人の顔なんて、二度と見たくも無い!




 その夜私は。
無駄になってしまった物体をどうしたものかと、途方に暮れていた。

 ブルーのメンズのサマーニット。
編み図から私がおこして、受注仕事の合間に編んでいたの。
前身頃も後ろ身頃も出来上がって、右袖も完成している。
後は左袖を編みきって、はぎ合わせるだけって所まで来ていた。

 尚人は体格がいいからね、普段着はどうしてもカジュアルな物に
なりがちなのよ。
ゆったりシルエットのこの手の服って、一歩間違えるとオジサンブ
ランドになっちゃうでしょ。
たまにはこういうのも似合うかなあって、ゆったりしてるけど、形
が綺麗になる様に、若者っぽくなる様に考えて編んだのよ。

 もうすぐ誕生日だから、それに合わせてね。
隠すほどでも無いけど、知らない方がびっくり出来るかなあって思
って、さりげなーくサイズを測って、会社じゃ出来ないから家でせ
っせとやっていたのよ。

 でも、それももう無駄になっちゃったわ。

 捨てるのも勿体無いし、とりあえず編み上げてそれから処遇を考
えようかな。
そう決めて私は、渋々編み棒と左袖を取り上げた。

(まさしく演歌の世界よね)

 着てはもらえないセーターを、寒さこらえて編んでおります私。
今は初夏だから寒くは無いけど、心がしんしん寒いわよ。
別れた男のセーターを未練がましく編んでるなんてね。

(尚人の馬鹿)

 あっと言う間に他の女の所に行くなんて。
でもやっぱり、こうなるんじゃないかなあってどこかで思っていた
のよね。
そういうキャラなのよ、私ってば。

 いいわよいいわよ、強く生きるわよ。
どうせこっそりセーター編んじゃう様な、こっそり手帳に記念日書
いちゃう様な暗い乙女オンナですよ。

 そういう自分を知られたくなくて、クールに振舞ってたのが幸い
したわよね。

 尚人の馬鹿、あんたなんてもう知らないわよ。

(……段々腹が立ってきた)

 こんな物、真面目に編み上げる事は無いのよ。
そうよ、さっさとほどいて、捨てちゃえばいいのよ。
そして未練も一緒に捨ててしまう方が、すっきりするかも。

 私はそう思って、セーターを手に取った。
編み棒を抜いて、毛糸の先を握って、一気に引っ張ろうとした、そ
の時だった。

 どんどんどんっ!

 玄関のドアを叩く音がする。
何度も、何度も、激しく拳で叩く音。

(何!? 何!?)

「開けろよ、俺っ」

 聞き覚えの有る大声が、叩く音の合間に聞こえる。

 尚人だった。

「開けないと、ご近所迷惑だぞー」

 どんどんどんっ、どんどんどんっ。

 慌てて私は玄関に走って行って、ドアに飛びついた。
こんな時間に騒がれたら、追い出されちゃうわよ!

「何なのよ、警察呼ぶわよ」

 開けるなり険しい声で私は言い放って、尚人を中に入れた。
玄関から先には入れてやらない意思表示に、私はそこで立ちはだか
って睨んでやった。


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